カテゴリー別アーカイブ: ものづくり筆耕ブログ

ものづくりに関する想い

バランス感覚

万能型は稀

それぞれの分野ごとに専門家がいたり、大が小を兼ねないことがあったり、万能はなかなか存在するものではありません。いつも他人を攻め続けている人は、攻められるともろくも崩れることがあります。

空母機動部隊を防御するイージス艦がコンテナ貨物船と衝突しました。

最新兵器による遠くからの攻撃には鉄壁の防御システムが働いても、近くの船舶の航行を避け切れないことにはちぐはぐさを感じます。

2000億円もする精密機器搭載のイージス艦も横からの不意打ちには手も足も出なかったようです。

将棋になぞらえると

将棋の飛車は攻めゴマの最高峰ですが、攻められると弱い一面を持っています。飛車、角、香車の利きは遠くから有効であり飛び道具として使うと効き目があります。

敵の王将、金、銀などの利きは長くない(自分の周り1マスぶん全部か一部)ので遠くにある飛び道具側は安全ですが、やむなく近くから攻めざるを得ないときに弱点が露呈することがあります。

詰将棋

上図のような持ち駒のない王将を飛車と銀によって攻め続けて打ち取る場合を想定します。

攻めには飛車で5二飛と玉から離して打ち下ろします。5二でなく6二と近づけると失敗します。王将側には合い駒(相手の攻め駒の利きを遮る駒)がないので王手を避けるには、9一玉、8一玉、7一玉の3応手がありますがそれぞれ、即詰みです。手順は以下の通りです。尚、慣例で王将は玉(たま、ぎょく)と表示します。

5ニ飛 9一玉 9二銀            
5ニ飛 8一玉 8二銀 9二玉 7一銀不成 9一玉 8二飛成    
5ニ飛 7一玉 7二銀 8二玉 6三銀成 9一玉 9二歩 8一玉 7二飛成

この他にも5一飛成として竜を作って詰める手順もあります。この手順は強さと弱さが同居している話から遠ざかるのでカットします。

不詰め

2番目のような駒の配置では玉側に5二の桂馬があるので、6二飛と攻めることになります。7一玉と応手されるとその後の攻めが続かないので、不詰めとなります。

これは飛車は攻められると弱いコマだからです。斜めに利きがないためです。敵陣に侵入し飛成すなわちになれば最強のコマになるのですが、強さと弱さを兼ね備えているとドラマのようです。

さいごに

兵器の最高傑作ともいえるイージス艦の事故にシステムの安全性やバランスについて考えてみました。遠くを照らす灯台において、近くの足元は暗く万能を望むのは無理な注文なのでしょうか。

今では、個人が所有する車にも自動ブレーキが備わっているものがあり、数千億円もする高価なシステムでは、ニアミスへの警告音発声は小予算でできそうです。また、GPSによる位置検出の制度が6㎝に突入しており、衝突しそうになったら自動監視システムが起動して両船の航行を修正できそうに思います。

ルネッサンス期の芸術家にレオナルドダビンチがおり、「万能の人」、「完人」と言われました。芸術方面だけでなくあらゆる分野に精通されたと言われています。最後に、その肖像画を掲げて終わりにします。

追加

今年は、ヘリコプターや小型飛行機の墜落事故が多いようです。経験豊富なベテラン機長の場合で起きています。科学の応用で山に衝突は避けられるのではないでしょうか。車などにおいて、乗り心地の追求が先で、事故への対応がおろそかになっていたように感じられます。人命尊重の機運の高まりを切望します。

おまけ

ちぐはぐさに怒りがこみ上げてくることがあります。Yシャツでスペアボタンがつくようになったのはいつからでしょう。たった数千円の商品にも大事を考えて突発事故に備えています。バランスを考慮した設計をお願いします。

持続的な発展

地方と中央の格差

わが国では民主国家といえども、中央集権主権的な風土が強い傾向にあると言えるでしょう。江戸時代、地方で行き詰って江戸に出るという話は聞きました。

富と権力が集まっている中央でひと肌上げようと飛び出した人々は大勢いたことでしょう。人手不足の時はコネや経歴よりもやる気だったことでしょう。

未発達状態では中央と地方の格差が激しく、ここ50年前まではかなりの大差であったことでしょう。かつて、中央から遠い地方は後進県発展途上県などと一時、呼ばれていました。

プロ野球は主要都市にしか存在せず、ナイター設備のある地方球場は皆無でした。今では北海道、東北地方にも球団が存在しています。

Jリーグのサッカーチームは結構、あちらこちらにあるのに対して、プロ野球チームはまだ、中央寄りです。北陸、山陰、四国地方辺りにプロ野球の球団がないのはさみしいです。

地方の追い上げと限界

発展している地方都市に出かけるとセブンイレブン、ドン・キホーテ、イオンなどの店が目白押しで似たような景色に出会い今、どこにいるのかわからない時があります。

人が集まり購買力があるからこそ、出店が続いているのでしょう。中に入ると店の雰囲気がどこも変わっていないことに気づきます。中央の仕組みがそっくり乗り移っているかのようです。

地方都市では周辺人口を飲み込むかのように人が集まっているようです。その一部では限界集落が増えていることでしょう。また、公共施設や商業施設の建築ラッシュでにぎわっていても、成熟した数十年先の青写真が明確になっているのでしょうか。膨れ上がった風船はいつか破裂します。

石油に頼っているある中東国では、やがて石油が枯渇した時を見越して資源小国の日本に学ぼうと先刻、役人が大挙して来日しました。

登りつめた先に、古くなった公共施設の維持もできなくなって廃墟都市にならないとも限りません。将来に負の遺産を残して見かけ上の発展には気を付けましょう。持続可能な発展(Sustainable development)が望まれます。

箸立てに入れる箸の向き

標準と共通

生まれた環境が違う者同士が一緒の生活をすると戸惑ったり、衝突することがあります。昔は似たような生活をしてきたもの男女同士が共同生活に入れば万事うまくいくと言われました。

それでも呼び名ひとつをとっても「おにぎり」でなく「おむすび」だと主張してケンカになることもあります。

標準というのもいい加減なもので、時代により変わったりします。だから、こだっわり、執着するのはいかがなものか。礼儀知らずなどと決めつけるのは良くないです。祝儀や見舞いの袋に入った札の新旧や裏表よりも、金額の多さをすなおに喜ぶべきです。

仏壇に供え物をするのに仏壇から見て字が読みやすいようにと逆向きに置く地方もあると聞きます。故人は字を読むこともないのだが、故人を尊重して供え方で気持ちを表現していることはわかりますが、それを扱うのは残された人々ですから、そこをないがしろにしているとの意見にはどのように反論するのでしょうか。

ご先祖を敬うのは良いことだが、もっと根本的な優れた言い伝えを反故にして、本質から外れた形式的なことがらにこだわっているようでは日進月歩の競争社会には置いてけぼりにされそうです。しかし、宗派によってそれぞれあるようで、正解は一つだけではありません。

箸立てと箸の向き

箸立ては箸を一時、収納しておき、容易に取り出せる容器です。大衆食堂では割り箸を立てておいて利用者が取り出せるようになっています。割り箸が袋入りでなければ、箸先が下になっていることが多いようです。

家庭では箸立てに入れる前に洗った箸を水切りにいったん入れ、乾いてから箸立てにいれます。そのとき、箸先を上にするか下にするか2方式あり、その割合は拮抗しています。上派、下派それぞれにもっともな理由があり、ローレンツの刷り込みではないが、幼年期から何も不思議がらずにしていた行為が標準と考えていることでしょう。

箸先を上にしておく最大の理由は、箸立ての底にはゴミがたまりやすく不衛生だからです。また、下にする最大の理由は、食卓に置くとき、口に触れる部分を手で触ることへの抵抗です。

ある篤志家が投票で決めようとして、投票者を募ったら上派:29票、下派:44票という結果を報告されていました。投票者が73名では何とも言いようがありません。

面白いことにスプーンやホークの場合は上図の右のように、押しなべて手にする柄の方を下にしています。これは不衛生かどうかは棚上げし、料理を盛り付ける方は形が大きいので箸立てに入れにくく、扱いやすさを考慮したものと思われます。

一般的なのはどれ

一般的とは一概に語れませんが、昔は夏場にハエがいることは極く当たり前で、そのため、下向きに入れておいたように感じます。今はハエがいることは少なく、手洗いが励行されるし、使い捨てビニール手袋をはめて食事の準備をすることもあり、上向きに入れることが多くなったことでしょう。

箸立ての改良

箸立ての底が不衛生と感じる人には、乾燥剤&消毒剤を中に敷くやり方はどうでしょうか。また、日光消毒ができるように組み立て式の箸立てを購入してはいかがでしょう。

売ってなければ、開発・製造して100均で売り出したら儲かるのでは。亀の子たわしで財を成した方がおられるようです。行動は結果を生みます。

雉も鳴かずば撃たれまい

この時期、河川や野原を散策すると、雉(キジ)の子育てに遭遇します。キジはケンケーンと鳴くと言われていますがもっと濁ってギャーギャーに近い音に感じます。近づくと大声で鳴くのがオスで、仲間や子供に危険を知らせているのでしょう。

カッコーやウグイスの鳴き声に較べると耳障りがよいとは言えません。キジは日本の国鳥に指定され、その生息地は全国的です。

キジは赤い色に反応し、郵便局員のバイクや配達箱を攻撃する動画をニュースで見たことがあります。

早朝、まだ、静寂が周りを支配しているころ、川辺を散策中に例の鳴き声とともに数羽のキジが飛び立った時は、ちょっとびっくりしました。子供を護るために鳴いたのに居所を知られて撃たれたのなら気の毒です。

言わずもがなの発言で集中砲火はありがたくありません。それを過去にさかのぼって幼児期や小学校低学年の時の失敗などを真顔で知らしめるのはいかがなものでしょう。

お漏らしした、女の子の持ち物に蛙を入れたなどの悪さは大抵、ないとはいいがたいです。婆やに育てられたある坊ちゃんは蚊帳のなかにバッタを入れられた話は有名です。

行動力があって今、指導的な立場にあるものほどそのような経験があると思われます。

過去の振舞いがどのように評価されるかは明確な基準がありません。キジは鳴かずにひっそりしていれば万事、平穏に済むとは言い切れません。

自分のお金でノーパン喫茶に行ったのならば、その人の全人格をその行動に当てはめて評価するのは早計かも知れません。かつて、取り上げたことがありますが、他国ですが公開された個人の発言をすべて記録するアーカイブ機関がありそうと述べたことがあります。

政敵の過去の行動や発言をお金で提供するビジネスが本格化したら、政治家を目指す人はいなくなるでしょう。

小学校の卒業文集にも将来を見越して手加減を加えたり、粉飾しなければならない時代は住みにくいです。

キジが鳴かずにただ、黙りこくって追従するのは難行です。キジの産卵は2~10月ころで、4~7月が主たる繁殖期のようです。国鳥のキジから雑感をしたためました。

水無月

旧暦とのずれ

6月になり、クールビズなどがスタートしました。また、郵便料金などの生活関連物資が値上がりして物入りです。

旧暦の6月を新暦の6月に当てはめて「水無月」と呼んでいます。旧暦では梅雨も明けて暑さが厳しさを増す頃に当たり、雨も降らず「水無月」の漢字が使われたことでしょう。

水無月、単衣、南風、衣替え、芒種、桜桃、嘉祥

日本の多くでは梅雨はこれからで多雨の季節を迎えます。ここに旧暦とのずれが生じます。こだわらないのが東洋思想でしょうか。水無月らしくない6月が訪れました。

目くるめく自然の営みに翻弄されながら、それでいて独自性を発揮しながらひょうひょうと歩んでいきたいものです。

安定成長から現状維持へ

最近、新聞のページ数が極端に少なくなったように思われます。記事の内容も著作権切れを使いまわしたり、22世紀まで語り継がれる名勝負のようなものが多くなっています。

高度成長期では色とりどりのチラシが入ってきて、新聞取次店では購読料よりもチラシからの収益が大半を占めていると推測されたほどでした。

民間テレビ放送局もひところの元気がありません。局の特色がみられず、他局で成功した企画をもじる内容が多くなっています。フロントランナーとなって新局面を切り開く気概が感じられません。

大きな出世よりもわずかな進展を皆が望む時勢になっているのでしょう。

出世という言葉よりももっと適切な表現がありそうですが、夢、展望、ビジョン、将来像、青写真を語る気風が失われています。

余分な経費を使いたくなければ、山にこもって仙人のような生活をする方法があります。そのような生活は物や知識は必ず劣化するので時代に取り残されそうです。

新聞やテレビ局もすべて自前で取材することなく、共同通信社から提供を受けるようなシステムが確立されていると思われますが、これからはこのような傾向がますます進むのでしょうか。

ハイブリッド時計

アナログとデジタル

物の量にはアナログとデジタルがあります。両者の詳しい定義について、ここでは取り上げません。テレビの送受信方式がアナログからデジタルに変更になって数年が経ちました。

音楽の録音方式もデジタル化の波が押し寄せました。こう見るとすべてにおいてデジタル方式が優れていると思いがちですが、それは言いすぎです。両者は同じ土俵に立っていないのだから比較するのは適切ではありません。

ハイブリッド時計について

時計について言えば、正確な時間はデジタル時計で知ることができますが、今、一日のどの辺りにあるかをぼんやりと知るにはアナログ時計が適しています。現実として、アナログとデジタルの両方式が混在した時計が販売されています。

今回、アナログとデジタルの両方式をサポートしたハイブリッド時計をJavaScriptで作ってみました。さいごに動作例を挙げておきます。これを作成するに、JavascriptとSVGを使用した簡単な時計とカレンダーを参考にさせていただきました。

SVG要素のanimateTransformという機能を利用しましたが、秒針と分針はアナログ量よろしく、無段階で変化しましたが、時針は一時間ごとにしか変化しません。せっかくのアナログ量が効果を示せずデジタル表示と大差ありません。

これは短時間の調査ですがプログラミングというよりもJavaScript制御系の内部的な問題のような気がします。以下の例では、一秒ごとに時針を進める処理を追加してあります。そのためかどうかはまだ不明ですが、長時間にわたり動作すると時針の表示に誤差が生じるようです。

秒針、分針、時針の矢印表示に時間が取られました。23:59:59の後には日付が繰り上がるはずですが、細かな点では問題が山積みです。Google ChromeとOperaでは動作しましたが他は動かないようです。新たな挑戦として評価していただけたらありがたいです。

改訂履歴

①デジタル機能追加
②時針表示をanimateTransform要素からline要素に変更
③針の先端に矢印を付加
④3針を秒分時から時分秒の順に重ねる
⑤背景画像を表示
⑥全体サイズを大きく

動作例

 

環境への慣れ

裏道人生

古い町の往来は歩行者や馬車などがかつて通っていたことでしょう。それが今では車が通っています。古い道はたいてい曲がっています。戦国の世、敵に攻められたときにはくねくね曲がった道の方が守るには好都合だからです。

そして、人力車や自動車が通るようになると道が広がったり、直線的な道が出来上がります。拡幅が無理な場合は、田畑をつぶして新しい道を作りました。

古い道は裏道などと呼ばれますが、歩行者優先で車はゆっくり小さくなって進みます。まっすぐで広い道は車が高速で走り抜けます。

車社会への慣れ

新しい町や地方の集落では、古い道を拡幅するのは都市部ほど難しくなく、道を広げ歩行者を保護するため、縁石で区切られた歩道が一般的です。縁石は片側だけだったり、ないものもあります。行政の力がはっきり表れます。

都市は公共交通機関が四通八達の状態にあり、車を使うことは少ないです。多くは電車やバスを利用し、降りた先で目的地まで歩きます。歩く道はたいてい裏道なのです。歩いているときに高速で走る車を感じることがありません。

都市に住む多くの人は駅やバス停から歩いて自宅に帰ります。家人が駅に迎えに来るのは歩くと一時間もかかる場合だけです。この辺は地方と大きな差が感じられます。あるところで、歩行者は低所得者、車利用者は高額所得者という雰囲気に遭遇したことがあります。

車への恐怖

裏道のないところで生活したとき、どうしてあんなに高速で車を走るのかと恐怖を感じました。いろいろ生活を観察すると、それほど高速で走っているのでもなく、車と共存している本格的な道を歩いた経験が少なかったからのようです。しかしながら、あまりにも車優先はいかがなものかと存じます。

上の図で、裏道は赤で示し、表通りを青で示しています。銀行、市役所、駅、図書館、警察、法務局、生涯学習センター、歯医者さん、郵便局、スーパーに出かけるには歩いていました。

都市部では選挙の投票に行くにも歩きが普通で車利用はなんと場違いなと敬遠されます。私の人生の大半は歩きでした。裏道での車のスピードは15~25km/hほどで音は静かでした。シュッとした音を感じませんでした。

女子高校の期末試験時には、登校時間が同じになるので女子高校生が道いっぱいになって我が物顔で通り、車は5km/hほどになることもありました。

安全運転

地方ではセンターラインのある農道も珍しくなく、整備された公道が多いが、注意を喚起する道路表記は少なく安全運転が望まれます。

 

やさしい施策

ところ変われば

かみ・たらこ、しも・たらこもある。

住んでいるところから離れて旅をすると、カルチャーショックに近い感激をしたり、恥をかいたり、思わぬ人情に出会ったりします。また、予備知識不足で失敗もします。

道路標識ではかなり離れた地名が表示される場合があるので、目的地周辺ばかりでなく広域にわたる地名を事前に知っておかなければなりません。

バス停の名前で銀行前、電工前とか普通名詞だけのものには困りました。ローカル色豊かに閉じたサークルを前提にしているが、○○銀行前と一回はコールしてもらいたいです。

都市部では銀行が複数あるのが一般的で省略されることはありません。

知らぬはモグリ

N市の広報から

病院、市役所などにおいて、市外局番を省略しています。ケータイから電話するとき、ナビゲーターに入力するときに大弱りです。

タクシー運転手の話では地方にも外国人旅行客がたくさん押し寄せる時代だそうです。

「それを知らないのはモグリだ」は強きを助け、弱きをくじく情けない行為の一つです。国際化にふさわしく弱者というより初心者に寄り添った施策が欲しいです。

がんことこだわり

比較第一

がんこ親父(おやじ)、一徹ものにはぶれない代表として好意的に取られています。しかしながら、ぶれない、揺るぎないと同義というほど最良のものとは思えません。そこには、もっとよいものを探す余裕がないのです。

評価が高いのは、こっちにゆらり、あっちにふらふらよりも100点満点中70点でも、筋の通った振舞いが良い結果を生むという経験則があるからでしょう。

こだわりの宿

こだわりの宿、こだわりぬいた味などのような使われ方にも、同じ雰囲気が漂っています。他の考え方を受け付けない「こだわる」行為は決して良いこととは思えません。

セールポイントとしての意味は、唯一無二、究極という意味で使っていると想像します。これにも安直なアドバイスは受け付けませんという強い意志が伝わります。

望むこと

世の中、あまりにも安直なものがはびこりすぎているのでしょうか。菓子の包装などにおいて、過剰包装と誹りを受けながらまさに究極の包み方を見ることがあります。

また、おにぎりの包装には驚きの技術が応用されています。いつでもパリパリの海苔を食べることができます。これは続けてほしいですが、内容よりも外装にこだわるやり方はそこそこでいいような気がします。