時代の流れに対応できるか

奨学金破産

最近、奨学金破産を聞くことが多くなっています。昔は働きながら勉学している人を苦学生などと呼んで一段低く見る傾向にあったように思われます。

今は奨学金を受けて大学等に通う学生は珍しくなく、就職試験時に学費負担者を問われることもありません。とりわけ奨学金授受が就職に不利になるという声は聞きません。

一方、奨学金を払いきれずに返済が滞り、親ともども破産に追い込まれる由々しき社会現象にまでなっています。

これまた労働力不足が事業継続に罅(ひび)が入るご時世に、奨学金返済に回せる収入が得られないのは残念です。正規社員でないので収入が低いのならば、国に政策としてしっかりした基盤を作ってもらいたいものです。

一方、奨学金を受ける側も親戚縁者からの入学祝いにいつまでも浮かれることなく、費用対効果を厳しく勘案して進路を決めるという人生設計が必要な時期に差し掛かっているようです。

生涯賃金

高い技能や技術・知識を身に付けたのに、それに見合う賃金が得られなければ割が合いません。

専門学校や大学教育にかけた費用を逐一、記録に残して目指すべきリターンとしての生涯賃金をはじき出すことが大切です。

それには成績やスポーツで実績を残す必要があります。ただ、ボーっと学生生活を送れば事が済むと思ってはなりません。マスコミも遅ればせながら警鐘を鳴らし始めました。

お金の掛けどころ

ある地方の話です。結婚式招待状を受けて祝儀額を決めるとき、招待者が結婚する本人か両親かで額が異なると聞きました。

昔は20代後半で結婚することが多く、本人が招待する場合は小規模の結婚式になりやすいのに対して、両親の場合は盛大な式になることが多いからと推測します。

招待する側では祝儀額に希望を述べることもできませんし、相手の風習に一々、文面を変更することもできません。

伝統的な土地柄では冠婚葬祭を一族の実力のバロメーターと考え千載一遇のチャンスと捉え大げさになりがちであり、今の実力や稼ぎに沿った催事にする考えは二の次になるようです。

対して、欧米からの影響もあって都市部や新しい考えを持つ家では、子女が20歳くらいまでは親が養育費を負担しますが、自立後は自分で働いて事をなし遂げる傾向にあります。

親に高額な教育費を負担してもらったのだから、卒業し就業後はすべて自己責任で賄うことを原則にしています。お金の掛けどころをどこに置くかはそれぞれです。どれが正解というわけではありません。

パワハラや移籍について

セクハラ・パワハラなど世間が騒がしくなっています。大昔はいざ知らず、新婚夫婦の私生活に関する卑猥な質問はセクハラです。警察官の部下に叱責を含む指導で拳銃による悲惨な結果になったケースもあります。時代に即した振舞いを身につけなければならないでしょう。

終身雇用は死語になりつつあります。日本のプロ野球で実績を積むと大リーグに進んで世界的な活躍に挑戦します。

20~30年前までは、球団を替えて移籍する選手は、わがままとか訳アリとか言われました。

移籍した選手に新天地で活躍されると元の上司が非難されたのです。だから、セリーグの選手はパに、パリーグの選手はセに移籍することが多く、移籍先で活躍してもリーグが違ったのでたまたま成功したのだと言い訳できるようにしていました。今ではセパ交流戦もあり、また、会社や球団を変えるのは極く普通になっています。

ブルータスにならないために

世の中、思い通りになることは少ないです。理不尽に憤慨して短慮は得策ではありません。

自分のことは棚上げし、シーザー、チンギスハーン、ナポレオン、聖徳太子、織田信長、徳川家康を超える弁舌で叱責・説教されたらひたすら耐えて受け流すしかありません。

長い歴史を見てもそのような人物は千年に数人です。大勢の人を長きにわたって従わせたり欺くことは至難です。そのうち、誰かが天罰を下してくれるでしょう。判定は時の氏神に任せましょう。

おわりに

生まれてこのかた20年も経つのに親から一度も怒られたことがない、公共交通機関やイベントの切符購入も親まかせで自分で買ったことがない若者は大勢います。

家庭で男が小の用をするとき、便座に腰かけてする人が多くなっていますが、駅や映画館などの大便用男性トイレは女性トイレほど数がありません。どちらにも対応できる適応力を養う必要があります。

「他人がしているから自分も」は危険です。自分に合った生き方が大切です。独自性に思いをはせてみました。

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