栄枯盛衰は世の習いか
2012年ころに、GAFMAという言葉が使われたようです。米国巨大IT企業5社(Google, Apple, Facebook, Microsoft, Amazon)の頭文字をとって名付けられたと聞きますが、日本ではあまり浸透しませんでした。
対してGAFA(ガーファ)ということばが盛んに飛びかうご時世です。先の5社からMicrosoftが抜け落ちた4社を言い表しています。
驕る平家は久しからずと繰り返し語り継がれました。幼少のころから何度となく連呼されると平家≒(超悪、極悪、犯罪者)のような印象を植え付けられました。リストラになった貴族(天皇一族)の末端が3Kに類する業務を請け負って力を付け、明治維新の前までの長期にわたる武家政治の基礎を築いたにしては散々な呼ばれかたです。
アナログからデジタル
古いものから新しいものに変わると古は悪、新は善と単純に考えがちですがそれほど割り切れるものではありません。テレビや時計はアナログからデジタルに変わりましたがデジタルがスーパーマンではないのです。
ラジオ・テレビからネットへ
テレビやラジオでは外部タレントよりも局アナと呼ばれるような内部正社員の登用が目立ちます。外部タレントは固定化され出番が増加しているような気がします。これは制作費の縮小が影響していると思われます。
古くからの付き合いのタレントの出演料を下げるにも下げられないので出番を増やして出演者の実入りを保証しているものと推測します。テレビでは以前よりコマーシャルへの配分時間が増えたようにも感じられます。
プロ野球中継ではピッチャーの投げる配球や球種など事細かに描写されるけれど、楽しみだけで見る観客にはそこまで必要なのか。投球のたんびになんの変哲もない芝生が写りますが、そこにスポンサーの名前を合成技術を駆使して画面に嵌めこみコマーシャル時間を短くしてほしいです。
知恵を絞って顧客に寄り添っていかないと明るい未来はありません。
紙媒体からデジタル媒体へ
新聞を読まない若者が増えています。スマホの普及で定期購読の必要性が薄らいでいます。
最近の新聞には広告の占める割合が極端に多くなっており、記事は申し訳ない程度にちょこっと載っている感じです。
産経新聞が全国誌を止め、ローカル誌になるという話を聞きました。朝刊が夕方に届くなど問題があります。これは中央から地方に輸送しているからか。
情報を転送して地方の印刷所で印刷というのも画期的な経費節減(コストカット)にはならないのでしょう。紙媒体からデジタル誌に変えた新聞は外国にも多くあります。売り上げは依然とほぼ変わらないが読者層に変化があったと聞きました。
デジタル媒体が盛ん
新聞社や雑誌社が運営するホームページでニュースの配信をサービスしています。大体は他のメディアでも取り上げている記事が多いですが、中には特ダネ的な記事やひまネタ的な記事が含まれていて108円の有料記事になっていますが触手が伸びません。
108円を払って読む気にはなれません。一年ほど掛けてようやく350ページ・256円の電子本を出版しました。売れ行きはボチボチです。「動作させながらゼロから学べるJavaScript」です。
それに比較すると有料記事108円は高いと思われます。インターネットはただ(フリー、0円)、サービスの和式解釈はただという考え方が普及しているからだろうか。
かつて空気と水はただと言われましたが、水はスーパーで売っていますし、国のリーダーが水道事業の民営化を推進する時代です。インターネットは誰でも気軽に情報を発信できるツールですが、玉石混交のきらいがあります。
品質や信頼性にいつも気を配り良質なものには対価や高評価を与える機運が盛り上がらないと公器を使ってのうっぷんばらしが蔓延することになるでしょう。
最後になりましたが、アメリカ巨大企業のなすがままはいつまで続くのでしょうか。