選択的とは何ぞや
5月に先進国首脳会議が広島で開催されます。それを踏まえて様々な議論が展開されています。今さらながらですが「選択的」という言葉が踊っています。選択的とは「金科玉条となる指針ではなくそのような考え方も許容されますよ」といった意味合いと考えられます。
そこには様々な含みを許容しますという寛大さもあると思われます。がしかし、巷の動きは一方方向に振れています。
「選択的夫婦別姓制度」は夫や妻の姓を名乗らずに、結婚後も従来の姓を名乗るというものです。そしてそれは従来の夫婦同姓制度と並列に進むというものです。従来方式、新しい方式の好きな制度を取り入れてくださいというのだから何ら問題はないように思われますが狭いコミュニティにおいては簡単にはいきません。
私が育った所において、同姓は先祖をたどればすべて同族であり遠い親戚になります。
その状況で夫以外の姓を名乗ると一族の地盤沈下になりかねず、長老たちから嫌われます。
地方では趣味、学閥、考え方、識見などよりも地縁・血縁が優先される傾向にあります。
「長いものには巻かれる」の風潮を考慮すると「選択的夫婦別姓制度」といえども好ましくないとの考え方が成り立ちます。
閉塞感からの脱却
ここ30年、経済成長が低迷し閉塞感が漂っています。明治になってから156年、振り返る時期です。幕末時期、長い間手本にしてきた唐天竺(中国・インド)は西欧列国の激しい攻勢にさらされ、日本は危うさを感じていました。国力の充実を図り、国威発揚を目指しました。憂国の士による西欧化の国策は成功裏に推移したと言えるでしょう。
このとき、長く我が国に培われてきた古来からの精神をもっと残しておけば良かったのではないかと残念に思われます。先進国首脳会議出席国で取り入れてない国は日本だけで恥ずかしいという面も少しはあるようです。やみくもに踏襲することなくここらあたりで西欧化を顧みてはいかがでしょう。