小数派受難時代

寄らば大樹の陰か

生きとし生けるもの、群れを作って生きていくものです。先日、急な冠婚葬祭に出会い、200㎞程の移動をしました。

世の中、市場経済で動いており少数派が生きにくい体験をしました。群れの一員になることを潔しとせず孤高を貫くことはなかなか大変なことです。

そのことで嫌がらせ、村八分、いじめなど顕在化することがあります。それは自分で実行する勇気がなく大勢に流される自分への不満、実行に移したものへの妬み、嫉み、やっかみの現れです。

少数派は面倒

一人の指導者が多人数を指導する場合、標準からはずれた人への対応は並大抵ではありません。そこで少数派は切り捨てられかねません。

その間隙を縫って「権兵衛が種まきゃ我が家も始める」、「五人組制度」、「運命共同体」、「相互監視社会」、「密告制度」、「前例主義」、「コネ、縁故採用」などが台頭してきます。

完璧な対応

世の中、完璧絶対の言葉が躍っていますがなかなか、怪しいものです。自動車免許証の更新で警察や免許センターに行くことがあります。

有効期限が迫っている免許証を差し出すとすぐに穴があけられ、次の手続きに進みます。それから啓発のためのビデオなどを見せられ、1~2時間後に新しい免許証を発行してもらえます。

この講習時間中に大地震などが起きてしまったら、穴のあいた免許証が通用するのでしょうか。新旧免許証の交換は同じタイミングでないとはなはだ危険です。物事を円滑に進めるために時間差は生ずるものですが絶対あり得ないことではありませんという例をあげました。

効率優先で少数ケースを切り捨てる

通常は特急を使っているコースを気まぐれで在来線を使うことにしました。

切符は通常、A-B-C間を特急、C-E間を普通列車で買いますが、先日はA-B-F-Dと普通列車にし、D駅から知人の車でE駅近辺の会場に向かう予定でした。

ところがB-F間のローカル線の運転間隔が90分と長く待ち合わせ時間に間に合いそうもなく、E駅に直行することを連絡しました。

切符は先のD駅まで買ってあり途中下車のつもりで降りようとしたところ、乗り越しの警告で止められました。

駅員はD-E間を乗り越しと判断したため改札のドアが閉まったと説明しましたが、途中下車ではと主張したところ改札を通してくれました。

切符購入でB、Fを経由地と告げてありシステムのどこかに不備があったのでしょう。2系統以上の特定区間では短い方の距離で運賃計算するようですが、今回のように大幅に異なる場合は実際に乗ったコースで運賃を決めるのではないだろうか。

雑感

日本列島は時計の針に例をとれば、12時40分のような形をしています。鉄道や高速道路は国土を縦断することに便利に作られていて、横断するには不便です。

横断するには一度、縦断しそこで乗り換え、更に縦断した方がどれほど時間の短縮になるかを身に知らされました。

少数派はいつの世も切り捨てられる運命にあるのでしょうか。

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