グレーゾーンと変わっていくもの
最近の話題は水増し統計から暴力指導、パワハラ騒動に変化したようです。昔、許されていたが今はダメという話があります。時代劇や発展途上国のドラマを見ているとこれらの背景が浮かび上がってきます。ドラマはある程度、歴史の知識がないとつまらないものです。
隣国ドラマで、国際競争に勝つにはどうしても有罪になって収監中の人物の力が必要になり、土地の有力者の鶴の一声で自由放免になるというシーンがありました。時代の差こそあれ、どこでも同じようなことが起きるものだと感じました。
情状酌量や忖度は有史以来からあったことでしょう。
町の名士が勲章褒章が近い時期に交通事故を起こしたときに、もみ消しや表ざたにならない示談が行われたとの噂はかつて耳にしたことでした。
新聞社やテレビ局も社内で似たような問題を抱えることがあり、それなりの要望により記事や放送にしないことはまま、あることでしょう。
都合の悪いことを捻じ曲げることは許されないでしょうが、黙っていることは法的には許される範囲です。これは個人の領域に限られ、コンプライアンスが求められる領域では説明責任が必要です。
今はダメの例
- 昔、長距離列車にゴミ箱は用意されておらず、食べ終わった弁当箱を座席の下に置いた。不潔だが許される範囲だった。
- 小学校などで皆勤賞ねらいで、病気でも一瞬なりとも学校に顔を見せて早退扱いにしてもらい即、帰宅する親子がいた。
- 駅の構内や車内がきれいになり、車内や駅のホームに座り込む地べたリアン(菜食主義者、ベジタリアンの親戚)が跋扈した。
- 列車内や人前で化粧する女性。野暮の極み。今は見かけない。
- 子供虐待、DVは罪。
- 動物虐待も罪。
- 自転車荷台への二人乗り。危険。
- 一人で2台の自転車を運転。それぞれ二人で自転車で出かけ一人がタクシーで帰ったときの自転車回収法。今、見かけない。
- 子供を肩車するのはめっきり少なくなった。
- 大昔、赤ちゃんをおんぶしてかなりの力仕事をする人もいた。
- 昔、日光に当たることがやたら奨励された。
- 女中、下女、下男などまたは変更前の呼称で呼ぶ(馬丁、丁稚⇒厩務員、店員など)。
- 江戸時代、妙齢行儀見習い者が雇用主(殿様)から手が付き、男児をなすと一族の出世の糸口になった。
- ことさらに不利益な呼称を使う。取り立て屋⇒集金人。
- 社会的に使わなくなったことば。情婦⇒恋人、愛人。
- 差別用語として定着したことば。小僧⇒見習い、研修生、従業員。
- うさぎ跳びをすることは昔、奨励。今はダメ。
- 河原や公園での無許可バーベキュー。昔、自己管理。
- 焚き火や野焼きをする。昔、自己管理。
- 部分英語を多用、掃除婦、社内恋愛、連れ込み旅館⇒モップレディ、オフィスラブ、ラブホテル。今は死語か。
- セクハラ・パワハラ行為、体罰行為。
- 運動の最中に水を飲むことが昔ダメ。旧来からの校則で徒歩40分かかるのに登下校途中で水分補給が今でもダメな学校があるそうな。
- 無許可の写真画像の付随的な使用もダメ。団体写真にモザイクが入り過ぎ。
- 金属や食べ物へのアレルギー対策。昔、初診者の問診は特になかった。
変わらないと恥をかく
長い外国生活から戻った人や社会の変化を気にしない人に接すると新鮮な感じを受けることがあります。オバタリアン、チョメチョメ、バッチグーなどの言葉を聞くとうれしくなります。
ひたむきに生きていた時代では法律的に違反でも、制度が現状に追い付かないところでは大目にみてもらって違法と騒ぐ人は多くいませんでした。
時代が落ち着いてやがて余裕が生まれてきたのに放置したり、知らんぷりをして一人勝ちをすると足元をすくわれます。
権力者が3年周期に変わったりする組織では自浄作用が働いて大きな問題になることは少ないです。
居心地のよい椅子に長期にしがみついていると他が見えなくなるので、日々、発足時を思いだして自問することが大切のようです。