上州路を歩く
寒露の候に上州路を歩いてきました。以下が古墳の案内です。なぜ鍵穴の形なのかはここから知ることはできません。小学6年生向け「学研教育情報資料センター」の資料によると前の四角形(方形)と後方の円形(古墳)が繋がっているので上から見ると鍵あなの形に見えるとあります。
前方後円墳
鍵穴のような形の古墳は江戸時代の学者・蒲生君平(がもうくんぺい)によって前方後円墳と名付けられたとされています。
前方後円墳タイプは朝鮮半島や中国にもなく日本特有のデザインと言われています。
古墳時代のはじまり
考古年代は武器・生活器具に使われた材料により分類されます。一方、日本の歴史年代は行政地(都)が置かれた場所などにより区分されます。考古年代は石器時代-青銅器時代-鉄器時代と進みます。
3世紀後半―7世紀ころ、前方後円墳に代表される古墳が盛んに造られました。この時代を考古年代では古墳時代と呼んでいます。農耕生産の向上に伴い社会的身分の差が生じました。
利用金属の順序
金属を生活の機器に初めて利用したのは金や銀とされています。その後、銅や鉄に進んだものと思われます。加工しやすさの順に使われものと推測できますが、単に金属の融点の低い順に使われたわけでなく、もうちょっと複雑のようです。詳しくは専門家にお任せするとして、歴史的には青銅器-鉄器の順になります。
埴輪を自作
市民によって自作された埴輪が公園のいたるところに飾られてありました。そこには作成者と製造年月日が記されてありました。市が教育的見地から公募して作られたのだろうか。
観光事業として
大型バスの駐車場が用意されてあったので、車を使っての来場が基本のようです。公共交通機関を利用するには不便だったのでタクシー会社の売り上げに貢献しました。
お休みどころなどは近くに見当たらず教育県の面目躍如といったところですが少しもの足りなさを感じました。