日別アーカイブ: 2018-04-23

冠婚葬祭1万通り

百人百様

百人百様、10人十色、人それぞれ、その人次第などの言葉は人や場所には個性があり正解が一つだけでないことを言います。

声高にこれが標準と正解を押し付けるのは野暮の骨頂です。

これが冠婚葬祭となると軋轢を生むことがあります。

最近、身近なところで葬礼を体験しました。様々な思いを整理します。

長い過渡期

謡曲『敦盛』の一節「人間50年」は寿命が50年との意味ではないでしょうが、平均寿命が50年を超えてからそんなに経ってないように思えます。人が他界すると周りから葬祭により弔いをしてもらいます。

その弔い方が千変万化、数え切れないほどです。封建時代、近代化、民主化、高度成長を経て習慣が徐々に変化し今や長い過渡期に入っています。

野辺の送り

野辺の送りの言葉にあるように、かつては列を作って死者を埋葬地に送りました。仁徳天皇御陵やピラミッドに見るように、亡骸(なきがら)の弔い方は土葬から始まったと思われます。

土葬式埋葬は装飾品が含まれると墓荒らしが起きます。また、亡骸を埋め墓標を立てる一定の土地を持っていないと弔いができないので都市部では不都合なことが多くなって火葬に変わったきたと推測されます。

火葬では家族や友人・知人により骨を拾うことが大きなセレモニーになっています。

TV時代劇ドラマに「死して屍(しかばね)拾う者なし、隠密同心」というきめ台詞がありました。

現代流に翻訳すれば「君もしくは君のメンバーが捕らえられ、殺されても当局は一切関知しないからそのつもりで」ということです。

生存中の近親者に看取られながら心静かに骨になるのは死者の最後のステータスと言えます。故人にとって骨を拾ってもらえないことは心細く、これほど不本意で不名誉なことはありません。

儀式の振舞いに標準はあるのか

11月の中頃を過ぎると新年の祝いを控える喪中欠礼のお知らせが届き始めます。これについても厳密な規定があるわけではありません。12月27日ころ喪中欠礼のハガキが届いたことがありました。

新年を祝う賀状はすでに投函済みであり今頃になってからの連絡は困ったと思いつつ、詳細を読むと没日が12月25日とわかり自分の浅はかさを反省しました。亡くなる前から印刷所に依頼するなどの準備は難しいです。

ビジネスで新年の挨拶をする場合は法人と個人を区別することが多く、喪中に縛られることは少ないのが通例ですが、経営者が喪中期間ならば慶事や派手な行動が控えられることは想像に難くありません。

喪中期間のしきたりは明治7年に発布された太政官布告が基準になっています。それによると喪中期間は13ヶ月となっています。太陰暦のひと月は28日ですから13ヶ月は1年です。

忌中は50日間、49日の法要が過ぎると忌中明けです。法要は土日が都合よく、仏事であるのに慶事同様、該当日の直前の土日が最も多いようです。そこには日本人特有の柔軟性あるいはご都合主義が現れています。

太政官布告の思想にはお祝い事を控えるほか「財を分かたず」というしきたりが含まれています。大黒柱がなくなると財産争いが始まり、有力者が亡くなって力が衰えたばかりなのに仲間割れを起こし弱体化するのを避け、一年間は静かに過ごす内容になっています。

儀式の振舞いは他人から強要されるものではなく、本人の内心の発露が基本であり、標準はあり得ません。

冠婚葬祭に遭遇すると人格が変わりテンションが上がる人がいます。

お節介が過ぎる人には若い頃の生徒会、趣味の集い、青年団、自治会、会社活動、地域のリーダーとして体験した話を聞くとよいでしょう。

体験の少ない人は聞きかじりを針小棒大に話しをしたがり、経験豊富な人ほど節介を焼きません。

終わりに

天寿を全うしての七回忌の年忌法要などは故人が亡くなってから時間が経ち、平穏な時期に懐かしい面々に出会って故人の思い出話にふけるのは人間の落ち着いた流れの一つです。

冠婚葬祭も人の一生の営みのひとコマであり、平常心で事に当たることができたらありがたいことです。それには日ごろからの心掛けが大切です。

日ごろの怠慢・失態を一気に取り戻そうとするたくらみはなかなか成功しないものです。請われた時に適切なアドバイスをできる力を持ちたいです。

おめでたいことについては先に触れましたので、主に葬礼について常々、考えていたことをまとめてみました。