芭蕉・奥の細道

ここのところ、松尾芭蕉の足跡にちょっぴり触れることができました。昨年9月に芭蕉の出身地である伊賀上野を訪ねたり、各地に存在する芭蕉の館芭蕉記念館を歴訪しました。芭蕉の文学的な活動は偉大です。多くの愛好家・研究者に慕われていますが、ここでは少し違う角度から芭蕉を語ります。

俳聖殿

芭蕉は出身地が忍者の郷であったことから忍者(密偵)だったと言われることがあります。全国の各地を訪ね当地の文化・風俗に精通していれば、その高度に集積した情報を欲しがる有力者が大勢、存在したことは想像に難くありません。

弟子になったり芭蕉を保護・支援して関わりを深めたことでしょう。当時の権力者も資金や通行手形発行に便宜をはかり幕府に対する不穏な動きの情報を入手したことでしょう。

奥の細道序文

芭蕉の晩年は支援者も多く出て好循環に展開しましたが、人間、そこまで到達する前に頓挫するのがほとんどです。

資金的には余力があっても、駕籠や馬を使わず多くは徒歩で各地を巡り、侘び・寂び・しをり・ほそみ・かろみなど英訳に苦しむ領域に踏む込み、後世に残るたくさんの作品を世に出しました。物欲・名誉欲より精神的な充実に到達できるかどうか。あやかりたいものです。

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