制度疲労
最近、我が国だけでなく、大企業や公的機関の不祥事に、世界的な広がりで蔓延しているように見えます。共産主義に勝利して、わが世の春を謳歌したはずなのに、世界的な経済停滞の中、富の偏在が一段と進み資本主義の転換期が話題になっています。
頑丈なものの代表である金属においても、繰り返し利用していると疲労が原因で強度が著しく低下することが知られています。
航空機などでは、太く厚くした部品が望ましいが、低下する繰り返し回数以前に部品交換を義務付け、軽量化を図っているのが現状です。
この金属疲労をもじって勤続疲労の字を当て、恙(つつが)なく、何事も穏便に、長いものに巻かれてひたすら現状維持に走る様を囃したてることがあります。世の中が日進月歩しているのに、朝礼のスピーチで古い教科書に書いてあるようなことを声高に叫ぶ指導者もおるようです。
時代に合わない部分を見直すという基本行動を忘れて、イデオロギーに走るのはいかがなものでしょう。多くの人々は主義主張よりも安寧・安穏な生活を望んでいます。
厳格さの基準
法律は運用の匙(さじ)加減でぎこちなかったり、円滑だったりします。
行動基準が、その日の気分によってマチマチであると独裁体制になりますが、責任逃れや自己保身優先で、常に自分の立場が安全方向に傾く行動をお役所仕事と言っておりました。
法律を尊重しつつ、不退転の覚悟で事に当った大岡越前裁きには拍手喝采です。
銀行などの金融機関ではその日の収支決算に1円の違いがあっても許されません。やり直しが基本です。安易に不足の1円を自分のポケットから補てんすると大問題になります。
実際、ある役所にバスによる出張交通費を誤って10円少なく請求したところ、大目玉を食らった経験があります。将来、会計監査が入ったときに進退問題に発展しかねないと言われました。庶民感覚では大げさに感じます。
巨額の予算が動く東京都の施設建設や公開入札制度なども含めて考えると、金額が小さいほど法律の運用が厳格で大きくなれば、法令順守の基準があいまいになっているように感じます。
ある銀行で副支店長による11億円もの横領が長年、発覚しなかったのはそのような雰囲気が原因かも知れません。
寄付を募る運動
最近、インターネットの世界では寄付を募る記事が多くなりました。ウィキペデアのような寄付で運用されているサイトで目立っています。篤志家による大口寄付が激減しているのでしょうか。
街宣車で大音響を響かせながら市中を示唆運動したり、環境を保護したり海洋生物保護のための活動をする団体など様々な組織が存在します。
多くの場合、それらの団体は寄付金によって賄われています。収支決算報告書が公開されていると思われますが、第三者による評価を見たことがありません。
クラス会や町内会の祭事への寄付行為は、名士気取りなどと冷やかす輩もいて寄付をするにも勇気が必要です。
余裕があれば、国境なき医師団などへの寄付もよいでしょう。中国の革命家・孫文への日本人の支援者について、本人の没後、再評価されています。
寄付を募る記事の増加に常々の想いを綴りました。