取捨選択は世の習い
日本は海に囲まれ他国からの文化を取り入れ、巧妙に自国に合うように改変して特有の文化を形成してきたと言えるでしょう。
だからいいものは取り入れ、時代にそぐわなくなったものは捨てていかないとごみの山になります。
誰がそれを決めて実行に移すのでしょう。それは国民の総意がなせるのではないだろうか。
歴史のひとこま
「人一倍」という言葉がありますが明治初頭までは二倍のことを指していましたが、国際標準に例えるとややこしいということで、二倍は二倍以外使ってはならないというお触れが出て、国際標準に統一されました。
他国では使ってないものに12時があります。時刻は12進数で0~11が普通です。なのに0時のことを12時と言います。
長年の習慣で真夜中は0時、正午は12時がいいかな。それならば0~23を用いる24時間制に切り替えるべきです。24種の数字より12種ならば経費がかからないので12時間制だったでしょうか。
今は液晶表示で正午に文字盤表記0~11を12~23に変更すれば良いのです。経費は微小ですが付加価値は格段にアップします。
それから、ちょっと言いにくいことですが、渡辺の「辺」、斉藤の「斉」などの異体字があります。学校の名簿や戸籍にはコード化された文字で印字できるのでしょうか。当事者でないものが何を言うかと叱られそうですが、統一すべき時期ではないでしょうか。
これは戸籍として登録するときに生じたものでしょうか、富にも上の点がない「冨」があるし、吉の他、上より下が長い「吉」があります。
また、シンニュウ、しんにょう篇に点が2つのものも存在します。だからと言って中国の簡体字:厂(がんだれ)だけのようなものは嫌ですね。
統一するには難事業となるでしょうがソフトウェアの仕事がなくなりかけた頃、国民的事業として実行されることを願っています。
ローマ字表記もバラバラ
地名、人名のローマ字表記もバラバラです。富士山は「Mt.Fuji」ですが月山は「Mt.Gassan」、大山も「My.Oyama」。その他、長音もoh,u,^,ーなど多種にわたっています。
私の幼少の頃には「箱根の山」が小学唱歌として口ずさまれましたが、今では歌われません。「一夫関に当るや万夫も開くなし」とは意味がわかりません。「村の鍛冶屋」の歌詞に「ふいご」が出てきますが理解できる人は超高齢者だけです。
さいごに
新しいことが次から次へと押し寄せてきます。残念ながら価値の低いもの、使われなくなったものは整理されていきます。また「老兵は死なず、消え去るのみ」ですか。