氷の朔日(こおりのついたち)
義理や人情は時とともにすたれていくものです。このブログでも変わっていかなければならないと力説を繰り返しています。折々の季節の行事も同様です。生活スタイルが変わり効率を重視すると変わらざるを得ません。
節分の豆まきには障子の桟にイワシの頭などをのせたように記憶しています。洋風の住まいには障子がありません。
旧暦の6月1日は氷の神様に感謝をささげる日とされ、氷の朔日(こおりのついたち)と呼ばれています。6月1日は私の郷において古老中心にムケビと呼んでいたようで、もうすぐ亡くなりそうな風習と感じていました。
幼少の身には詳細不明であり一年の中間地点にはまだ、30日もあるのにちょうど一年の前半を無事に過ごしたお祝いの行事と思っていました。
地方により6月1日の行事は少しずつ異なりますが、氷に関わるものが多く感じられます。古来は、氷室(ひむろ)の蓋を開いた日とされたり、古いものから新しいものに剥(む)けることを祝うところが共通しています。ムケノツイタチ、ムケビも起源は同じのようです。
余裕があれば残したいもの
仕事でふいご祭りに出会ったことがあります。ふいご祭りは11月初旬に行われる行事であり、鍛冶屋、刀工、鋳物師など鉄を商いにする匠たちのおまつりです。ふいごとは鉄を暖めるために風を送る送風器のことでより大型で足踏み式のものはたたらと呼びます。
アコーディオンの原理で送風板を上下や左右に動かし風を送ります。今では電動で送風することでしょう。「たたらを踏む」の言い回しはここからきています。
名前の由来となったものが消え去っても風習を残す意味はあります。鉄の溶解物は危険です。炎を恐れ敬い作業の安全を考えるきっかけに毎年、行っていたと思われます。余裕があれば残したいものの一つです。何でもかんでも新しいものに切り替えるのは短慮と言えましょう。