幸せとは如何に
生き方として多数派に属していれば、楽に過ごせると言われています。しかし、員数合わせあるいは集票マシンの1票扱いではつまらないと考えて安易に少数派になると苦労します。
義理ある人や上司などが薦める縁談を断って別の道を進む場合、それなりの覚悟がないと後悔することがあります。
しかしながらもっとも悔やむのは周りの声に従いながらも結果が思うようにならない時です。だから、自分の意思を貫けたときは結果の如何に関わらず、幸せと言えるのではないだろうか。
普通以外は少数派
今ではそれほどでもなくなったようですが、生き方でなく職業についても同様のことが言えます。
農村地帯や会社勤務の多い地区では、文筆業や演劇で暮らす者への偏見が少なからずあることでしょう。
少数派が市民権を得るには時間がかかります。知名度の高い製造業は理解度が高いですがユーチューバーや○○コンサルタントなどはともすれば胡散臭い目で見られます。
作家などは大企業から仕事をもらう下請けでもなく、工場設備らしきものもなく、毎日、家にいてどうして生計を立てているのだろうと不思議がられます。
訪ねてくる人もなく、家電業者の出入りもないとどこぞの国のスパイをしているのではないかと勘繰られます。
少数派が評価される時代
少数派が評価されにくいのは、その他大勢からの脱却を夢見ても実行できずにうつうつとした体験を持っている人が多いからでしょうか。少数派を特別扱いすることによって多数派の心の安定が図られたことでしょう。
かつて両親の出身国が異なる子女は混血児、あいのこなどとちょっと異なる響きで呼ばれました。近年はハーフやダブルなどと呼ばれ、市民権が確立されつつあります。
社会が複雑になり、多数派が両者の違いを浮き彫りにしても心の安寧につながらなくなっています。
多文化の時代は本物か
日本は単一民族国家かというとそうではありませんが、極めてそれに近い状況です。厳密には世界中で単一民族国家はどこにも存在せず、同一民族の割合が全人口の95%以上を占める国家も20には届かないでしょう。
近ごろ、サッカー、相撲、テニス、陸上競技などのスポーツにおいて、両親の出身国が異なる選手の活躍が目覚ましいものがあります。カタカナ名前や肌の色は関係ありません。
第二次世界大戦後、日本人は敗戦国側であったこともあり、非白人であることから人種差別される側に立っていました。経済発展や文化面の功績から日本人への人種差別は薄らいだように感じます。だから、肌の色で人種差別する人が少ないのではないだろうか。
最後の世間話
尾ひれが過大についた話です。父親がハイチ出身、母親が日本人の日本語を話せないテニス選手や両親がともにオランダ人ながら日本語しか話せない元日本代表サッカー選手がいます。アジア大会4*100mリレー選手にはカタカナの選手も含まれていました。
サッカー選手の話ですが両親とはオランダ語、インターナショナルスクールでは英語、サッカー生活では日本語を使ったとされています。
稀にみるtrilingual(トライリンガル、トリリンガル)と言えましょう。一家全員が日本国籍を取得するケースは珍しいです。
多様多彩な多文化の時代が到来したのでしょうか。本物、本格化が定着することを願っています。