時計の振り子
ものごとがひとつの流れに傾くと元に戻すには、かなりのエネルギーを必要とします。江戸時代には奢侈禁止令を発布して華美な服装を取り締まりました。
消費生活が成熟した昨今では、為政者が庶民生活を統制することは難しくなり、法令により風潮を具体的に変えることは少なくなりました。
時計の振り子のように放っておいても行き過ぎが元に戻ってほしいものです。
過度なサービス競争
それでも経済が好調な時期には、不自由を感じません。どんどん、オリンピックの規模が拡大され、膨大な開催費がかかるようになると、誘致に手を挙げる都市が少なくなってきました。今では、オリンピック管理機構が質素な開催を主導している有様です。
わが国では、高度成長期には風呂の中でテレビを見られるシステムバスが売り出されました。一定のモラルを超えて競争が拡大すると自滅に向かいます。
スーパーでは、店内がきれいでないと客が集まらなくなり、改装競争になります。お茶を飲みながら店内で購入したお菓子や弁当が食べられるイートインコーナーが新設されています。
このほか、巨大な業務用整水器が設置され、無料で浄水を汲めるサービスが一般化しています。衣料品なども取り扱う総合スーパーではベンチを用意し、加えて座布団も置かれています。
一方、過度のサービスは利益を圧迫しているかのようです。点滅する蛍光灯が放置され、壊れたトイレの修理に手間取っているスーパーを見かけます。
質素な時代が懐かしい
玄関先だけが豪華でもバランスの取れていない家屋には、違和感があります。お風呂でテレビを見る商品のコマーシャルは見かけなくなりました。
ふた昔も前の話ですが、あるホテルで近くの店の閉店セールが開かれ出掛けました。かつてはモダンなホテルでしたが古くなり、店じまいセールに会場を貸すまでになったとの思いを感じました。
もっとも大きな違和感は回転ドアが油きれを起こしていて、キーキーと音がしたことです。すべてに通用することですが、末期状態には細かな配慮が欠如する例です。
我慢の時代
利益を上げるには様々な策が考えられます。調味料の蓋の穴を大きくして売り上げを増やした例は有名です。
このやり方は、たびたび使える施策ではなく、メーカーにはありがたくない例として語られています。
酒税を克明に研究し、第3のビールを開発しても酒税が改訂されては元の木阿弥です。
人口が自然増加し、消費が増える時代の方策がまだ強固に残っています。元に戻すにはかなりの痛みが生じます。持続可能な発展を目指すには、我慢の時代と認めざるを得ないでしょう。