新しい傾向
これまですごろくの上がりのごとく、芸能人や知識人の究極のラスト職業として政治家(多くは県知事)を考えることができまし
た。
県知事の元職業として中央官僚、大学教授、芸能人、弁護士、ジャーナリスト、スポーツマンなどが多かったように感じます。
会社や団体組織の長は黙々と中で組織に貢献した者がなるのが通例ですが、知事の場合は違っていたように感じていました。
最近、この傾向が崩れたようで新しい展開です。たたき上げの政策人、政治家がなるというより、著名人が候補に押されても中々、
承諾を受けられないからではないだろうか。
一方、『国家が諸君の為に何をしてくれるかを問うな。諸君が国家の為に何を成し得るかを問いたまえ。』と語って第35代アメリ
カ大統領に当選したジョン・F・ケネディが受けた尊敬・敬慕が政治家に向けられなくなったことも一因となったいるようです。
選挙対策側から推薦を受けた著名人が冷徹な考えのもとに安易に立候補しなくなっているのかもしれません。政治の世界で、独裁
者が追放されたのに、後を継ぐ為政者がドングリの背比べから抜け出せず混沌・混乱を繰り返しているところも存在します。それ
ほど現状を改革していくことが難しいと言えるでしょう。
’21知事選
多数決、民主主義などは古代ギリシャで芽生え、義務教育では最終的な仕組みとして「貝殻追放」の言葉で習ったと記憶していますが、一筋縄ではいかないようです。テレビの解説番組で取り上げてもらえるよう期待します。
おまけ
古い人間には「貝殻追放」と習いましたがそれは誤訳とか、今は「陶片追放」に改められているそうです。