釣瓶(つるべ)落とし

秋の陽

《秋の陽は釣瓶落とし》と言われます。井戸で滑車を使って水を汲む釣瓶(つるべ)はあっという間に底に落ちていきます。

秋の陽は落ちるのが早く身近な釣瓶に例えたのでしょう。秋の陽秋の日の字を当てることも多いようですが、その日も太陽のことを指していると思われます。

今は上下水道が完備していることが多く、釣瓶を見る機会が少なくなっていますが、50年ほど前は井戸水の利用は普通でした。

下水道においても1964年東京オリンピック前にIOC委員の視察団が来日したとき、都の方針で屎尿(しにょう)汲み取り車を一斉に休ませ、生活環境を目立たなくした上、交通渋滞を緩和したそうです。

紅葉(もみじ)狩り

春は山笑う、秋は山(やま)粧(よそお)うと言われます。高い山はすでに紅葉が始まっています。「桜は南から、紅葉は北から」と自然は分け隔てがありません。もっとも桜は九州よりも東京が早かったりします。

自然豊かな日本では果物が豊富で、サクランボ狩り、リンゴ狩り、ブドウ狩りと行楽が盛んです。それらはいずれも果物を食べたり、もぎとっておみやげにします。

秋の風物として紅葉狩りがあり、かつては会社、町内会などでバスを繰り出しての小旅行が定番でした。紅葉狩りに参加したある人が紅葉の枝を折ろうとしたので理由を聞くと、ミカン狩りなどでは果物を持ち帰るので紅葉狩りでは枝を持ち帰るのではと答えたそうです。

見事な紅葉を愛でる気持ちは、動物を食料の獲物として追う狩りに通ずるものがあったのでしょう。一方、桜を愛でる行為は桜狩りではなく花見と呼ばれます。桜の枝を折って持ち帰る野暮天はいないでしょう。

言葉と風流

「桜は見る」、「紅葉は狩る」で言葉もなかなか風流です。一年には四季があって、人生にも幼児期、少年期、青年期、中年、壮年、老年などの成長過程が存在します。

長い人生、ただ、目前のノルマを果たしていけば事が成就するほど単純ではないです。

複雑な一生には物を生産するだけでなく、潤い、趣味、哲学などの分野に触れずには過ごせません。日頃の喧騒から離れて紅葉狩りなどに出かけ積もった垢を洗い流すことも良いのではないでしょうか。

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