敗者が復活できる世の中か

変化のない時代

強大な力を所有しライバル勢力が弱体化した時期には指導者は大胆なことをすることができます。

抵抗勢力がそれなりの力を持っている場合は即効的な政策に終始し、後世の歴史に残るような大技を発揮することは難しいです。

大体は人気取りに向かい、表面的な受けの良い政策に走りがちです。

安定はともすれば改革を忘れ閉塞感が漂う暗闇と紙一重です。江戸時代の中期以降はそんな時代のように思われます。才能にあふれる人材は星の降るごとくあまたに存在しながらも、為政者が新しいことに挑戦する雰囲気になく、従来からの方針を着実に踏襲することが保身の第一でした。そのような時代は一度つまずくと復活することが難しいので無難な策に流れます。

前例無きに手を染めない

最初に前例はありません。前例がないから早い者勝ちです。2番目以降は前例がつきまといます。前例はメール発信者に返信の機能を使い、一々、メールアドレスを入力せずにメールを送る手続きに似ています。こうなると前例至上主義が跋扈して前例のないものは認めないという安易な流れを生み出します。なんとかのひとつ覚えを振りかざす権力者ほど手におえないものはないのではと感じ入ります。

許容のある時代

失敗や誤りは誰にもあります。失敗を恐れいつも石橋を渡るような振舞いは事によりけりです。生命に危険が及ぼすようなことには常にそうあるべきですが、ただ、臆病風に吹かれて先頭を切る気概を持たない者には人は付いていきません。意味のある次につながる失敗には適切な評価がなされて当然です。

大きなことを成し遂げるには家族や組織の許容や支援が必要です。発明王エジソンの成功率は非常に低かったのではないだろうか。たび重なる失敗にもめげずに繰り返しの挑戦で新しいことが成し遂げられるのです。

周りからの応援

最近、『泣き虫しょったんの奇跡』を観ましたが、当事者だったらこの上なく切ないことと感じました。

司法試験や公認会計士などの難関国家試験に挑戦して志半ばであきらめた知り合いのことを思い起こす人は少なくないでしょう。

周りから天才と言われて全国から集まった俊英が10年15年と競い合ってプロの将棋指し(棋士)になる世界《奨励会》を描いた実話を基にした映画です。

全国将棋大会で優勝した若者が奨励会に入会して年齢制限までに勝ち抜けずに奨励会退会を余儀なくされた例はたくさんあります。

人口3~4万人の市の中学チャンピオンで優勝してプロになれると小躍りする親がかつては多くいましたが情報が容易に伝達する今日、そのような親は少ないでしょう。

奨励会の入会試験に合格するだけでもおおむね県代表の力が必要とされています。

今回の映画は卓越した才能があったにもかかわらず、その才能が開花しなかった将棋を毛嫌いせずに愛し続けた結果が、周りの応援で敗者からの復活を遂げる物語です。

喧嘩わかれでなくても、失恋した相手、挫折して退会したスポーツチームなどの話はしたくないものです。

ことさら悪い点、理不尽な点などを探してそこから目を背けるものです。そこには主人公の人の良さと最後まであきらめない強靭な精神力が映し出されています。

規則を捻じ曲げる

法治国家ならば、一度決めた規則を全体の総意を受けずに勝手に解釈することは許されません。ただ、明治時代に決めた法律を時代に合わないにも関わらず、順法精神ただ一筋に貫いている例も多くあるのです。

プロの棋士になるには奨励会を経なければならない鉄の規律を破ることはできないでしょう。一方、将棋と言えば囲碁の世界に較べて垢ぬけていません。

将棋を描いたイラストにはステテコや腹巻姿のおじさんが載っており、女性が好んでするゲームではありませんでした。

当時、将棋愛好者はじり貧傾向にあり、何とかしなければならないという思いを抱えている指導者が多くいました。

一度、才能なしと烙印を押され奨励会を去ったアマチェアがプロとの対局で勝率5割を超える成績を作った現実を知らんぷりできなかったことも事実です。

繰り返しになりますが、将棋修行の環境としては共同トイレのアンモニアの臭いが立ち込める4畳半下宿が思い起こされ、上記のような華やいだおしゃれなマンション風雰囲気には程遠い状況でした。

総会で奨励会以外にもプロになる手段が可決され30歳を超えてもプロになる道が開かれました。相撲には幕下付け出しという似たような制度があります。

相撲協会と将棋連盟はかつての現役が経営者となっている数少ない団体です。

将棋連盟は社団法人、日本相撲協会は財団法人ながら両方とも公益法人です。

最近、スポーツ団体であったように終身会長と銘打つ実力あるいはワンマン会長の鶴の一声で規則を捻じ曲げるわけにはいかず、総会に諮ったものと思われます。

これらの動きがマスコミに取り上げられ話題騒然、人気沸騰を迎え、当時の連盟会長はこのような状況はすでに私(日本将棋連盟)の勝ちであり、プロ編入試験の結果に関わらず大成功と闊歩したものでした。

翌年、正式にプロ編入が規約として明文化されたようです。

過ちては則ち改むるに憚ること勿れ

自分や組織が誤っていると悟ったなら、躊躇なく改めなさいという教訓です。世間体や体面、人のおもわくを考えて、なかなか実行に移せないのが現実です。また、そこに利害関係が絡むと権力闘争になります。

相撲は八百長問題で屋台骨を揺るがす時期がありましたが、外国人力士が現役トップを占めることを許容する団体です。

部屋の弟子を抱えたままの協会会長が存在し、総理大臣になっても地方の知事を兼務している雰囲気がしますが、将棋同様、根強い人気に支えられています。

組織運営のプロを頂点に仰ぐ囲碁や柔道の団体に較べて、日本将棋連盟はそこそこ頑張っているのではないだろうか。

さいごに

かつて、将棋や相撲において若く早くして社会に出る人々が多かったですが、国技館を無借金で建て替えるなど大胆な施策を断行したり、女優や将棋界の大旦那や電機会社からの寄付金を基に自前の将棋会館を作っています。

掛け声だけでなく有識者を標榜するすべての団体・組織にも敗者が復活できる方策が望まれます。

 

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