一面的なとらえ方
昨年、ラーメン店内で財布を拾ったので店員に届けたとき違和感を覚えました。「落とし主に届くよう配慮します」との声が返ってくることを期待しましたが、「免許証が入っているので慌てて戻ってくるだろう」と軽口で言っただけでした。
この店は味はイマイチながら無料で多彩なトッピングができるので気に入っていましたが、小規模な地域チェーン店であり、商売のモットーが額縁に飾られている割には社員教育までは手が回っていないように感じられました。
もやもやが消えかかったころ、ラジオから「拾った財布を交番に届けたところ、落とし主が現れお金が少なくなっている」と言われたいう話が聞こえてきました。届出人の連絡先を記入したり、警察官と会話を交わすことを考えると部分的ネコババは極めて低い確率でしょう。
ラーメン店でも少なからずの不快感がありましたが、後者の届出人は怒りに近い失望感があったと推測されます。
謝礼の礼金が惜しくなって逆切れしたと思われます。すべてを失ったかも知れないのに戻ってきたのだから勿怪の幸い(もっけのさいわい)でしょう。
納得いかないのならば多くの人の手を煩わせたペナルティと思わなければなりません。
非日常のアクシデントへの応対は文章に表すことができないくらい千変万化です。すべて制度化するのは味気ないです。
熟慮と変える勇気
法律で決められないものは山ほどあります。「清き水には魚棲まず」とも言われ、法律の厳しい運用もときによりけりで別件逮捕につながることがあります。確かな証拠がなくただ胡散臭い人が自宅から公道向かいの50mほど離れた賃貸駐車場までパジャマ姿で運転することを聞きつけて、免許証不携帯で署まで連行するようになったら大事(おおごと)です。
庶民は「小さなことはお目こぼしを」とまでは言いませんが、もっと大悪、巨悪、大奸を捕まえてほしいとひたすら願っています。
名義を借りて商売をする、資格がないのに検査官になる、他人の健康保険証で病院にかかるなどはちょっと前までは許されていても今はだめです。
隣国のドラマに土地の有力者の一声で受刑者が無罪放免というストーリーが展開されていましたが、日本でも40~50年も遡れば有力者の口利きで交通違反の点数リセットなどで似たようなことが行われていたようです。
かつてやむを得ないと大目に見られていたことが許されなくなった事柄は多くあります。暮らしにくい世の中になってきたと嘆かずに正常な姿に戻す勇気を持たなけれなならないでしょう。
余談
それにしてもスーパーで買う物が小さくなっています。
安くてうまいは絶無です。いつまで続くスモールチェンジかな!
今一番の悩みは「甘くないバナナ」「まずいバナナ」です。